NOVEL



ここは夢園荘 サイドストーリー

伝えたい言葉(前編)


ある晴れた土曜日の午後。
俺−早瀬夏樹は恵理とリビングでくつろいでいた。
今日は特に急ぎの仕事もなく恵理も今日は学校も休みの為、二人してのんびりしていた。
そして昼食も済み、さてこれからどうしようかと身体を密着して話していると電話が鳴る。
恵理は「折角いい雰囲気なのにぃ」と文句を言いながら電話に出た。
「はい、早瀬です」
同棲を始めた頃は言い間違えていたけど、今ではそう言うのが当たり前になっているようだ。
当然と言えば当然か。
「あ、葉月さん、どうしたんですか?」
電話の向こうは葉月のようだ。
話を聞いているうちに恵理の表情に?マークが浮かびだしている。
葉月は一体何を話しているんだ?
「わかりました。では夏樹さんと一緒にすぐに伺いますね」
そう言うと恵理は電話を切る。
「葉月さんがすぐに来て欲しいって」
「葉月が?」
「うん。なんか相談事があるとかで詳しいことはその時にって……」
「ふ〜ん……」
俺は葉月の用事がなんなのか考えてみた。
だが今のところ彼女の周りで取り立てて心配事も無いだろうし結局分からなかった。
「行ってみてるか」
「うん」
そして、二人とも着衣を整え部屋を出た。
着衣が乱れるような事はしてないはずなんだが……何故だ?


水瀬家に着くと、葉月が出迎えてくれた。
彼女の両親は相変わらず不在、睦月も部活でまだ帰ってきていないらしい。
俺達は居間に通され腰を下ろす。
「相談事って何?」
葉月が淹れてくれたお茶を飲みながら聞く。
「実はまなみのことなんです」
「「まなみちゃんの?」」
思わぬ人物の名に俺達は二人は首を傾げた。

葉月の話からまなみちゃんの相談事というのはこういう事らしい。
母親と一緒に暮らすようになって1年近くになるが、未だに『お母さん』と呼べないでいるらしい。
どうやら気持ちの上では呼びたくても、まだわだかまりがあるらしいとのこと。
葉月もなにかきっかけがあれば良いとは思ったようだが、明確な答えを伝えることは出来なかったようだ。
そして答えに詰まった葉月にまなみは「相談に乗ってくれてありがとう」と笑顔で家を後にしたらしい。
その笑顔に彼女は何も出来なかった自分が悲しくなり、いい手は無いかと考えたが結局思いつかず、俺達に相談を持ちかけたようだ。

話し終えた葉月はすがるような眼差しで俺を見る。
「何かいい手はないでしょうか?」
「と言われても……」
あまりにデリケートな問題だけにパッと思いつくわけもなく、答えに詰まっていると……。
「私からもお願い。何とかしてあげて」
と恵理まで俺に詰め寄る。
二人の顔を見ながら、俺は軽く息を吐く。
「はっきり言うけど、俺にもどうして良いか分からないと言うのが正直な所だ。
それにたとえ今思い付いたとしてもそれを実行する気になれないな」
「でも……」
「そうですよね……私達のせいでこじれたりしたら大変ですよね……」
恵理の言葉を遮るように葉月が言う。
「ま、そう言うことだな。でもだからと言って何もしないわけにもいかないから考えとくよ」
「夏樹さん、ありがとうございます」
葉月は深々と頭を下げた。
なお俺の答えに恵理は納得のいかない表情をしていたが、それは気にしないことにした。


帰り道。
いつも腕を組んで歩いく恵理が、俺のやや後ろをとぼとぼと歩いていた。
原因は分かっているので『どうした?』とは聞かないが……恵理が何と言うかが少し気になる。
「夏樹さん……」
恵理の呼ぶ声に足を止め振り向いた。
「うん?」
「本当に何もないの?」
恵理はやや上目遣いで俺を見る。
「無いことは無いよ」
その言葉にさっきまで落ち込み気味だった表情が明るくなった。
「本当に!?」
「ああ……幾つか思いついてはいるけど……」
「じゃあ、なんで?」
「どれもピンと来なくて……だから2、3日考えようと思ってる」
「そう……なんだ……」
恵理は落胆したように視線を下げる。
(まったく……恵理にしても、それから俺に相談を持ちかけた葉月にしても、俺なら何とかしてくれると思ってるんだろうな)
そう思うと思わず苦笑が漏れた。
(しかし……ホント、頼られるとノーとは言えない性格だな)
「心配するな。何とかしてやるから」
俺は恵理の頭に手を置くとそう言った。
「本当に?」
「俺が嘘を言ったことがあるか?」
「え〜っとどっかな〜」
「おい」
「あは、冗談」
恵理は笑顔でそう言う。
その表情から翳りが消えたようだ。
「帰ろ、夏樹さん」
恵理はそう言うと俺の腕に自分の腕を廻す。
そして二の腕に頬を当てるとつぶやくように「頑張ってね」と言った。


翌日、日曜日だというのに俺は田所さんの呼び出しで本社デザイン部の応接室にいた。
さらに早乙女真奈さんと坂本聖の二人も呼び出されたらしく、俺がそこに行くとすでに二人は各々の好きな物を飲んでくつろいでいた。
零課の3人が勢揃いというのも非常に珍しい光景だろう。
「私達3人の用事って何だろうね」
真奈さんが口を開く。
「そうですね。田所さん直々に呼びだしって何か変な感じがします」
聖は疑問に思ったことをそのまま口に出した。
「とは言っても当の本人がまだなんだからなぁ……何やってるんだろう?」
その言葉に二人はうんうんと頷く。
言うのを忘れていたが俺達3人はここで30分以上も待たされていたのだ。
「そうですよね。僕なんてもう2時間近く待ってるんですから」
「それは聖君が早く来すぎたせい」
「田所さんから時間は聞いているはずなんだから、聖が悪い」
「二人してそんなこと言わなくても……」
「だってねぇ」
「うんうん」
「うう……」
聖はそのままソファの影に膝を抱えて座り込んだ。
「……真奈さんが聖で遊ぶ理由が分かった気がする」
「こう言うところが可愛くてね」
真奈さんはそう言うとうずくまる聖の後頭部をつんつんとつついて遊んでいる。
あ、聖がどんどん沈んでいく。
まぁ田所さんが来るまでに復活すればいいか……。
それからさらに30分後程過ぎ、田所さんが来たときにはすっきりした顔をした真奈さんと疲れ果てた聖の姿があった。
田所さんはそんな二人を見て「相変わらず仲が良いわね」と一言で片づけてしまった。
彼女にとっても見慣れた光景だからな……。
「それはともかく3人に会ってもらいたい人がいるの」
田所さんはそう言うと応接室の入り口で待っている女性を招き入れた。
(あれ?)
俺はその女性に見覚えがあった。
そして向こうも俺の顔を見て同じように思ったようだ。
「あの……もしかして、夢園荘の管理人をやってらっしゃる早瀬さんでしょうか」
「そうですけど……あ……もしかしてまなみちゃんのお母さん?」
「はい、まなみがいつもお世話になってます」
その女性−まなみちゃんの母親、桜雪子さんは頭を深々と下げた。
「夏樹君の知り合いなの?」
「うわ、マダムキラー」
「夏樹さんってそんな人だったなんて……」
田所さんに続いて勝手なことを言う二人は放っておいて、田所さんの質問だけに答える。
「ええ……知り合いと言っても1回しか面識はありませんが……」
「そうなんだ。偶然って怖いものね」
「私もまさかここで早瀬さんに出会えるとは思いませんでした」
「俺もですよ。でも俺達に用事って?」
「あ……そうです。実は……」
「ちょっと待ってください」
「「はい?」」
田所さんと桜さんが声をそろえて答える。
「後ろの二人を何とかしてからにしましょう」
そこには……。
「夏樹君が無視した……」
「突っ込んでくれるって信じてたのに……」
などと言いながらいじける二人がいた。
本当に良いコンビだと思う。

数分後二人を強引に再起動させ本題に入った。
桜さんはテレビ番組の制作会社でディレクターをしていた。
そして今回若手デザイナーに密着といった感じのドキュメンタリー番組を撮るために、俺達3人の取材の申込みに来たのだ。
俺達としては仕事とプライベートに支障が無ければ問題なしと言うことでほとんど二言返事でOKを出した。
撮影というか取材のスケジュールは来週から1ヶ月間で主に仕事場のみと言うことで話がまとまった。
このことは内心ホッとしていた。
何と言ってもタカではないが、さすがに18歳の女子高生と同棲していると言う状況を世間に知られるのはまずいだろうと言うことからだ。
それに恵理に迷惑を掛けるのはイヤだしな。
でも取材の中心は聖になりそうなのでちょっと安心。
と言うのも1ヶ月後に新作着物の発表会があるからだ。
ここでふと思ったが、俺と真奈さんは関係ないような気が……まぁ口には出さないけど。

その後打ち合わせも終わり軽い雑談の後解散となった。
真奈さん、聖はそれぞれの仕事部屋に戻っていき、俺は家に帰ろうと応接室を出ようとした時、桜さんが俺を呼び止めた。
「少し、お時間よろしいでしょうか?」
「はぁ、いいですけど……場所変えましょうか」
「ここ使っても良いわよ。この後使う人もいないから」
田所さんが自然にそう良いながら応接室を出ていった。
彼女なりに気を遣ってくれたのだろう。
出ていく彼女を見送ると、俺は桜さんの正面に座った。
「お話と言うと……まなみちゃんのことですか?」
「はい……」
桜さんは頷くと下を見たまま黙ってしまった。
恐らく言葉を選んでいるのだろう。
俺も二人の事情は知っているので、桜さんが話し始めるまで待つことにした。
どれくらい時間が経っただろうか、ゆっくりと桜さんが話し始めた。
「私……まなみに避けられている気がするんです。
話しかければちゃんと答えてくれるのですが、向こうから話しかけてくれることはほとんど無くて……。
私も忙しくてもなるべく時間を作って、あの娘と一緒にいるようにしているのです。
でもこういう仕事をしているとどうしても夜が遅くなってしまい、それもなかなか出来ないのが現状で……。
やっぱり私……母親失格ですよね」
桜さんは今にも泣き出しそう……というかすでに目に涙を浮かべている。
どうやら自分で自分を追い込んでいるな。
しかしどう言ったら良いものか。
まさか昨日まなみちゃん自身が葉月の所に相談しに来たとも言えないし……。
「あの……大丈夫だと思いますよ」
「え……でも……」
俺の言葉に桜さんは顔を上げた。
「桜さんはまなみちゃんの為にしっかりとお母さんをしてるじゃないですか」
「そうでしょうか……」
「そうですよ。自信を持ってください」
「はぁ……」
まだ不安げな表情をしている。
そりゃそうだろう……言ってる本人だって何て言ったらいいのか分からないまま言ってるんだから。
「それで、避けられているように思ったのはいつごろからですか?」
「えっと……ここ2週間ぐらいです。
それまでもぎこちなさはあったんですがそれでも何とか……」
「もしかしたらまなみちゃん、桜さんに言いたくても言えないことがあるのかも知れませんね」
その言葉に桜さんは突然怯えたような表情へと変わった。
「桜さん?」
「私……あの娘を捨てた酷い母親ですから……やっぱり……」
「あの……」
「でも仕方ないですよね……今度は私が捨てられる番なんですよね……」
しまった……桜さんは後ろ向きな考え方でどんどん自分を追いつめて自滅するタイプだったんだ。
こうなったら……。
「桜さん」
俺はやや強い口調で彼女の名前を呼んだ。
「……はい」
「俺もまなみちゃんの考えてることは分かりません。さっき言ったのもあくまで仮定です。
ですが、もし本当にまなみちゃんが桜さんの考えてるようなことをしたら、俺も水瀬家の人も夢園荘のみんなも全員でまなみちゃんを叱ります」
「でも……」
桜さんは俺の勢いにやや押され気味になっている。
「それによく考えてみてください。二人はあの日からずっと親子として一緒に暮らしてるんですよ。
確かに他人の俺にはそこにどんな苦労もどんな悩みもあるのか何も分かりません。
だけど俺は水瀬家で生活していたまなみちゃんの姿をずっと見てきました。
だからこそこれだけははっきり言えます。
まなみちゃんは桜さんの事を決して嫌ったりしていません。
もし本当に嫌っているなら最初から一緒に暮らしていないんじゃ無いでしょうか」
俺の言葉を桜さんは黙って聞いてくれている。
その表情に先ほど見せたおびえはほとんど無いように見える。
大分厳しい事を言ったつもりだけど、彼女はそれを真摯に受け止めてくれているようだ。
ここで俺は少し柔らかめの口調で言葉を続けることにした。
「まなみちゃんは言いたいことははっきりい言う娘だと思います。
そんなまなみちゃんが口に出して言うことのできない言葉ってなんでしょうね。
俺が思うに素敵な言葉だと思うんですよ。ただ言うには少し恥ずかしいようなそんな言葉」
「素敵な……言葉……」
桜さんはその言葉を口の中で反芻する。
「ええ。だからしばらく様子を見ながら待ってみてはどうでしょうか」
「……そうですね。私、あの娘を信じて待ってみます」
そう言う桜さんの表情は初めの頃に比べて穏やかな物になっていた。

それから小一時間ほど雑談をすると、桜さんは時計を見て慌てて席を立った。
急いで会社に戻らないといけないらしい。
タクシーを呼ぶと、来るまで1階ロビーで待つことにした。
「早瀬さん、ありがとうございました」
「え……あ、いや……俺も勢いに任せてきついことを言ってしまってすみませんでした。
年下なのに偉そうでしたよね」
「そんなことありません。早瀬さんに言われて、少し気持ちが軽くなりましたから」
桜さんは微笑みながらそう言った。
「あの娘を16で産んで結婚して、でもすぐに夫を亡くして苦労ばかりの人生だったから、私、気を張りすぎていたのかも知れませんね」
……今、桜さんはなんって言った?
まなみちゃんが確か今年11歳だから……え?
「……あの……失礼ですが今、お幾つですか?」
「年ですか? 27歳ですが……それが?」
「もしかして1974年生まれ?」
「はい」
「俺と同い年……なんですね」
「早瀬さんも74年生まれなんですか?」
「ええ」
「すごい偶然ですね」
「そうですね」
俺達は互いに噴き出し笑い出した。
ロビーを行き交う人たちはいきなり笑い出した俺達に不思議そうな眼を向けるが、俺的には笑うしか無いだろうと言う気持ちだ。
その時正面玄関の向こうにタクシーが停まるのが見えた。
「あ、来たようですね」
「本当ですね。それではこれで失礼します。来週からどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ」
簡単な挨拶を交わすと桜さんはタクシーに乗り出発した。
それを見送ると思わず溜め息を一つ付いた。
「ま、結果オーライか……」
そのまま俺も本社を出ると駅に向かって歩き始めた。
「そう言えば高一の時、夏前に中退した娘がいたっけ…………まさかな………」
そんな自分の考えを否定するた。
しかし後日、ふとしたことでタカに1年の春に撮ったクラス写真を見せられて、そのことが事実だと知ることになるがそれはまた別の話……。


続く


<あとがき>
絵夢「さてと、今回は前々からたくさんの人からリクエストを頂いて、自分でも書きたいと思っていた話です」
恵理「なんか、構想は去年の暮れからあったって聞いたけど……」
絵夢「そうなの。思いついては没にしてを繰り返して、ようやくここまでこじつけたわけだ」
恵理「ご苦労様です。ところでなんでまなみちゃんの話なのに主人公は夏樹さんなの?」
絵夢「まなみの視点で書くと彼女の気づかないうちに事が解決するし、行数的にはすごく短くなって面白くなくなっちゃうの」
恵理「あ、なるほど」
絵夢「でもまぁ……まさか続く事になるとは思わなかったけどね……」
恵理「本当は1話で終わらせる気だったんでしょ」
絵夢「脱線しまくり……最大の原因は真奈と聖という新たな脱線コンビの登場かもしれん(^^;」
恵理「前回初登場なのにね(^^;」
絵夢「ま、いいや」

絵夢「と言うわけで次回後編」
恵理「お楽しみに〜」
絵夢&恵理「まったね〜!」